指定文化財詳細

もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう

木造不動明王立像

指定区分
県宝 
地区
更北 
所在
長野市青木島町大塚 
年代
平安時代末期~鎌倉時代初期(13世紀?) 
指定等年月日
令和2年3月16日
地図

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解説
 寺伝では、播磨守護大名赤松則村の玄孫満村が、長禄2年(1458)に高野山龍光院で出家、祐尊と称した。そして延徳元年(1489)善光寺に参詣、飯綱山で断食修行中に延命地蔵のお告げを受け、当地に下り一宇を建立し、自ら高野山より行基菩薩作の不動明王を請来して、文亀元年(1501)現在の降魔山地蔵院不動寺を開山した。
 天文24年(1555)の川中島合戦の折り、武田信玄は、当寺付近に在陣して参詣、不動明王の威徳を感じて、周囲四町を境内地として寄進した。そこで当寺周囲の集落名を不動寺と称している。雷災のため、文禄、元和、寛文、文政の各時代に堂宇を失ったが、この不動明王像はその都度焼失を免れて今日に伝えられている。
 この不動明王像は、像高151.9㎝のほぼ等身大の檜材木造立像である。髪を巻髪とし、左肩に弁髪を垂れ下げ右手に宝剣、左手に羂索(けんさく)を握って条帛(じょうはく)、裳を着けて立つ通例の不動明王像である。顔はいかにも鎌倉時代らしい写実的な忿怒(ふんど)の面相である。
 量感ある堂々とした体躯、そして整理された衣紋の表現など適度に変化がある。全体にまとまりがあって、造形的に優れ、一木割り矧(は)ぎの造形技法等、鎌倉時代前期の秀作である。