- 解説
- 大室244号墳は標高360mを測る大室谷の入口に位置し、「大室古墳群大室谷支群村東単位支群」と呼ばれる古墳グループに属しています。谷の入口にそびえ立つ姿はとてもよく目立ち、地元では「大塚穴」や「将軍塚」と呼ばれてきました。
墳丘は土と石を混ぜた盛土石を用いる土石混合墳丘の円墳で、墳丘の直径約21m、高さ8mを測ります。墳丘は途中に段を持つ二段築成として外観が仕上げられています。段築は本来、下段の墳丘の上に上段の墳丘を構築して、墳丘を崩れにくくするためのものですが、本墳では内側の墳丘を構築後、墳丘下段部にのみ外側に墳丘を足して二段築成としています。この結果、高さ8mを測る内側の墳丘は非常に急角度となります。こうした急角度の墳丘を構築するためでしょうか、「石垣状石積み」と呼ばれる一般的に古墳ではみられない城の石垣積みに類似した技術が用いられています。墳丘の周囲には周溝が巡っています。大室古墳群内で周溝を持つ古墳は本墳が唯一となります。
墳丘規模は金井山支群459号墳の直径27mに及ばないものの、大室古墳群で20mを超える規模の古墳は459号墳・176号墳・244号墳の3基しかなく、大型となります。さらに、周溝を含めた全体の規模は30m近くなり、大室古墳群では最大となります。
埋葬施設は両袖形の横穴式石室で、残存全長11.7m、玄室長6.5m、玄室幅2.3m、玄室高2.5mを測る非常に大きな石室がよく残っています。大室古墳群内では北谷支群348号墳の無袖形横穴式石室(全長8.8m、玄室長6.5m、玄室幅1.9m、玄室高2.35m)と並ぶ、最大規模の石室となります。石室内の発掘調査は羨道部で実施されています。集落遺跡では出土しない古墳専用品かと考えられる底に穴を開けた壺(底部穿孔壺)や脚付長頸壺を含む土師器や須恵器、金銅製の鈴などが出土しています。金銅製の鈴は外径5.1cmを測る大型品です(明治大学博物館蔵)。これらの出土遺物から本墳は六世紀末から七世紀初頭頃に築造されたと考えられています。
このように本墳は唯一周溝を備え、墳丘や横穴式石室が大室古墳群内で最大規模となる正に盟主墳と呼ぶにふさわしい古墳です。また、急角度で高い墳丘は「石垣状石積み」の技術とともに、他ではみることができない本墳の特徴となります。
史跡整備事業では墳丘の石垣状石積みを保存するために、発掘調査で排出された土に特殊な薬品を混ぜて墳丘表面に貼付け、土石混合墳丘を復元しました。墳丘上段部が茶色から黒色に近いのはこのためです。下段の墳丘は流失防止のために植栽を行っています。また、巨大な横穴式石室へはいつでも入ることが出来ますので、一度「黄泉(よみ)の国」探検をしてみてください。
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