- 解説
- 大室240号墳は「大室古墳群大室谷支群村東単位支群」と呼ばれるグループに属しています。大室谷支群は標高700m近い谷上部から標高350m付近の谷入口部に形成された扇状地にかけて古墳の分布がみられますが、谷入口部にまとまって分布する古墳を村東単位支群と呼称しています。240号墳はこの村東単位支群で最も古墳が密集する音無川右岸の標高375m付近に位置しています。
墳丘は横穴式石室開口部側となる南西側半分が削平されていました。墳丘とともに横穴式石室にも破壊が及び、羨道部が完全に失われています。さらにこの削平部分には石積みが構築されて段々畑化しているなど、大きく改変されていました。また、墳丘北東側の背面部も旧林道造成によって墳丘の一部が削平され、石積みが構築されていました。このように、240号墳は石室開口側となる南西方向の前面部と北東方向の背面部が大きく削平され、原形を留めていないほど損壊が著しい状況でしたが、発掘調査によって直径14.3mの円墳であることがわかりました。
墳丘は削平された墳丘断面の清掃によって盛土石がよく観察でき、土石混合墳丘であることがわかります。また、石室開口部前面の石積み内からは大型の石材を並べた「墳丘内石列」が検出されました。特に斜面下方側(石室に向かって左側)で検出された石列はよく残っていて、横穴式石室奥壁底部と高さが同じになるなど、緩斜面に横穴式石室を構築するための水平面を造成している様子がよくわかりました。
埋葬施設は横穴式石室です。前述したように羨道部が完全に失われていましたが、玄室はほぼ完存しています。玄室長4.1m、玄室幅2.2m(中央)、高さ2.3mを測り、中央が膨らむ胴張形となります。奥壁は一枚石による鏡石構造で、玄室天井石は2石が残っています。袖部は右袖部が残存していますが、左袖部は改変が著しく、右片袖形か両袖形かの特定はできませんでした。ただし、左袖部付近には右袖部の袖石に類似した板状石の散乱が認められ、両袖形であった可能性は高いと考えられます。また、墳丘南東側(斜面上方側)の墳丘裾部付近には大型の板状石が一石放置されています。天井石を転用するために引き出したものの持ち出せずに放置されたと地元では伝えられており、本墳の天井石と考えられます。
出土遺物には土器類(土師器・須恵器)と鉄鏃・刀子があります。
築造年代は出土した遺物や横穴式石室の構造などから七世紀前半代と考えられます。
史跡整備では削平された断面を復元展示し、横穴式石室を覆う土石混合墳丘が観察できるようにしました。
参考文献
駒沢大学考古学研究室・長野市教育委員会 1981 『長野・大室古墳群-分布調査報告書-』
大塚初重・小林三郎・石川日出志編 1993 『信濃大室積石塚古墳群の研究Ⅰ-大室谷支群・村東単位支群の調査-』(明治大学人文科学研究所叢書)東京堂出版
長野市・長野市教育委員会 2007 『国史跡大室古墳群 史跡整備事業にともなう遺構確認調査概要報告書-エントランスゾーンB~D区 遺構編-』
長野市教育委員会 2013『史跡大室古墳群(2)』
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