ふせじんじゃほんでん つけたりむなふだにまい
布制神社本殿 附棟札2枚
- 指定区分
- 市指定有形文化財
- 地区
- 篠ノ井
- 所在
- 長野市篠ノ井布施五明235
- 年代
- 文化6年(1809)
- 指定等年月日
- 令和5年3月2日
- 地図
-
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- 解説
- 布制神社本殿は、覆屋の中に建つ間口柱間(はしらま)3尺5寸の規模を有し、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、屋根は杮葺(こけらぶき)である。母屋柱は円柱を用いており、縁長押(えんなげし)・上長押(うわなげし)・内法長押(うちのりなげし)を打ち、頭貫(かしらぬき)[木鼻付き]を通している。長押には、八双金物(はっそうかなもの)の代わりに彫刻を施した八双木片の装飾が見られ、柱上の組物(くみもの)は出組みとして、彫刻支輪[雲]を付ける。中備(なかぞなえ)には彫刻が施されており、正面は松・竹に鷹、側面は桐・鳳凰(ほうおう)、雲・鳳凰を題材としている。妻飾りは大瓶束(たいへいづか)を用いておらず、虹梁(こうりょう)の上を波と亀の彫刻で埋めるなど、本殿全体を見ても彫刻で用いた題材が非常に多く、彫刻の作風からも文化文政期(1804~30)の建築様式をよく示している。
建築年代については、文化6年(1809)9月の再建・遷座を示す棟札が残されていた。この棟札には大工棟梁として越後国頭[頸]城郡(くびきぐん)市振(いちぶり)村[現新潟県糸魚川市]の牧野吉左衛門の名が記されている。彫刻を多用し、地垂木(じたるき)の垂木尻(たるきじり)が見え、拳鼻(こぶしばな)を正面から見た輪郭が台形であるなど越後大工特有の技法が現れている。越後大工が信濃へ他所稼(たしょかせ)ぎに来ていた最盛期に建立された事例の一つであり、北信での活躍を具体的に示す建築遺構として貴重である。
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