学芸員のちょこっと一言 ながの文化財ブログ

 都市計画道路築造工事等に伴い、篠ノ井布施高田で実施していた発掘調査が10月29日をもちまして終了しました。

 今回の調査では、竪穴住居跡3軒、溝跡19条、土坑12基、小穴などがみつかりました。遺物は、土師器や須恵器のほか、東海地方から搬入された灰釉陶器や緑釉陶器が出土しました。竪穴住居跡の時期は、出土した遺物から平安時代と考えられます。複数の竪穴住居跡がみつかったことから、調査地周辺には平安時代に集落がつくられていたことが新たに判明しました。

 また、今回の調査地は中世の居館跡である「布施城跡」に近接しています。現在のところ、布施城が機能していたとされる鎌倉時代頃の遺構や遺物は確認できていません。しかし、平安時代以降に掘削された溝跡が複数みつかっており、これらが布施城跡に関連する可能性があります。

 

 調査にご協力いただきました地域の皆様、発掘現場にお越しくださった皆様、ありがとうございました!

 

▼発掘調査の様子(10月撮影)

7人ほどの作業員が、両刃鎌や移植ごてを使って土を掘っている様子。

 

▼平安時代の竪穴住居跡

調査区の隅に方形の竪穴住居跡が写っている様子。竪穴住居跡は、埋土が取り除かれてほかの部分よりも30cmほど低くなっています。

 

▼竪穴住居跡から出土した須恵器と土師器

割れた土師器の甕や須恵器の杯が数点まとまって出土している様子。

 

▼平安時代以降に掘られた溝跡

写真の中央に幅約50cmの溝と幅約1.5mの溝が並んで延びている様子。

 

 

 

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 都市計画道路の築造工事に伴い、8月17日(火曜日)から篠ノ井布施高田にある布施城跡近接地で発掘調査を行っています。

 今回の調査地では、中世の館跡である布施城跡に関係する遺構の存在が予想され、これまでに竪穴状遺構や溝跡、小穴などが見つかりました。

 見つかった遺構や調査の様子は、速報として現場に設置した掲示板で随時ご紹介しています。

 お近くにお越しの際は、ぜひ覗いてみてください!

 

▼調査の様子

15人ほどの作業員が両刃鎌を使って土を削っている様子

 

▼調査の様子

10人ほどの作業員が、土を掘ったり運んだりしている様子

 

▼設置したお知らせ看板

「埋蔵文化財発掘調査実施中」と書かれた看板に、写真や説明が印刷されたシートが貼られている様子

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7月31日(水曜)、吉田四ツ屋遺跡の発掘現場にNBS長野放送「土曜はこれダネッ!」の取材が入り、お笑いタレントの末吉くんが発掘作業を体験しました。


朝のシートはぎに始まり、竪穴住居跡の掘削、出土した土器の取り上げなど作業員さんと同じ仕事をしてもらいましたが、最高気温33.5度というたいへん暑い一日だったにもかかわらず、末吉くんにはとても一生懸命取り組んでいただきました。末吉くんお疲れ様でした!


放送は8月10日(土曜)午後6時からの予定です。末吉くんの奮闘ぶり、ぜひご覧ください! 目指せ発掘芸人!

 

▼作業員さんと一緒に竪穴住居跡を掘ります

末吉くんが腹ばいになって竪穴住居跡を掘っているようす

 

▼出土した土器の取り上げもやってもらいました

取り上げた土器を末吉くんがカメラに向かって見せています。その周りには職員や取材クルーがいます。

 

▼最後にみんなで記念撮影

末吉くんを中心に、職員3人、作業員12人が並んでいます

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御所遺跡・守護所跡(中御所居館跡)では、今年2回の発掘調査を行いました。

平成30年4月9日~4月17日に行われた1回目の発掘調査では、中世居館跡の外郭部分の調査を行いました。

平成30年9月13日~12月25日に行われた2回目の発掘調査では、中世居館跡の内郭および内堀の一部、古墳時代~古代(奈良・平安時代)の集落遺跡の調査を行いました。

内郭部分の調査では小穴(柱穴跡)約200基や土坑、溝跡などが見つかり、整地の痕跡も確認できました。内堀は幅11m、深さ2mで、一部改修した痕が確認できました。その他に平安時代の竪穴住居跡や土坑墓、古墳時代の土器が捨てられた土坑なども見つかりました。

また、12月14日には、地元説明会を開催し、地域の方々に内堀や柱穴群、竪穴住居跡などの遺構や、土器、石器など出土品をご覧いただきました。雪が舞う寒い中27名にお越しいただき、ありがとうこざいました。

 

▼調査地の遠景(真上から)

調査地を真上から撮った写真です。内堀や柱穴が写っています。

 

▼内堀(完掘状況)

内堀の断面を撮った写真です。8名の作業員に並んでもらい深さがわかるように写っています。

 

▼内郭部分の柱穴群(完掘状況)

手前に溝跡や多くの柱穴、奥に内堀が写っている写真です。

 

▼遺物出土状況

土坑からカワラケ5個が出土している写真です。

 

▼地元説明会の様子

中央の内堀部分で見学者に職員が説明している写真です。

 

▼地元説明会の様子

左側の見学者に職員が土器を持ちながら説明している写真です。

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平成30年5月14日から始まった上ヶ屋遺跡の発掘調査が、7月12日に終了しました。

今回の調査では、スクレイパー(掻器)とみられる石器や黒曜石の縦長剥片など、旧石器時代の遺物が見つかりました。また、縄文時代の土坑や溝、土器片も検出されました。

調査地がバードラインに面していたこともあり、近くにお住まいの方や観光のお客様など多くの方が足を止められ、発掘調査の様子をご見学されました!

 

▼調査地遠景(写真奥が飯縄山、手前に写っているところが調査地です)

奥に飯縄山が、手前にバードラインと調査地が写っています。

 

▼作業風景

10人程の作業員が、小さいスコップを使って土を掘っています。

 

▼縄文時代の土坑(完掘状況)

楕円形の穴が1つ写っています。向かって右側の底部が一か所深く掘られています。

 

▼石器出土状況

下半分が土に埋まった状態の灰色の石器が1点写っています。長方形に近い形をしています。

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 飯綱高原の大谷地湿原の近くにある上ケ屋遺跡で発掘調査が始まりました。

 この遺跡は旧石器時代の遺跡として知られていて、過去の発掘調査で800点以上の石器が出土しています。今回の調査地は過去の調査地点の南西に当たる場所で、集礫遺構などの発見が期待されます。

 また、5月15日には、大谷地湿原に視察に来られていた加藤市長も参加され、作業員さんと一緒に発掘調査を行いました。

 これから、6月末くらいまで発掘を予定しています。

 

▼加藤市長が発掘に参加!!

加藤市長が発掘している様子

 

▼発掘調査の様子

作業員さんが並んで土を削っている様子

 

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 平成29724日から発掘作業を行った三輪遺跡の調査が912日に終了しました。

 三輪では過去に何度も発掘調査が行われており、弥生時代から平安時代にかけての多くの竪穴住居跡が見つかっています。今回の調査では、古墳時代後期から平安時代までの竪穴住居跡を18軒確認しました。時期は古墳時代と平安時代が主体ですが、三輪遺跡ではあまり確認されていなかった奈良時代の住居跡も1軒見つかりました。また、古墳時代や平安時代の住居跡が何軒も重なった状態で検出されました。遺物は、土師器・須恵器・灰釉陶器・凹石・刀子など、主に当時の日常生活で使用されていたものが出土しました。

 調査の結果から、調査地が各時代に集落の居住域として利用されてきたことがわかり、三輪遺跡の性格を考える上で貴重な資料を得ることができました。

 

ドローンにより上空から撮影した調査区全体の写真です。 

 

三輪の住宅地の中にある調査地を撮影した写真です。

ドローンにより空中から遺跡全体を撮影しました。このような住宅密集地の下にも遺跡が残されています。

 

 

古墳時代の竪穴住居跡1軒の写真です。全体の形は方形で、柱を立てた穴が見られます。

古墳時代の竪穴住居跡です。

 

 

竪穴住居跡から見つかったカマドの跡の写真です。使われていた土器やカマドの石が残されています。

竪穴住居跡の中にはカマドの跡が残されていることもあります。カマド周辺からは当時使われていた甕などの土器が見つかります。

 

 

作業員さんが竪穴住居跡を掘っている写真です。

発掘作業の様子です。8月の非常に暑い時期の発掘作業となりました。

 

 

 

 

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 平成29年7月6日から行っていた、史跡整備に伴う松代城跡の発掘調査が8月10日に終了しました。合計6ヶ所で調査しました。松代城二の丸では土塁の痕跡を確認し、東三日月堀では護岸遺構を新たに発見するという成果がありました。

 7月29日には現地説明会を開催し、東三日月堀の護岸遺構や、今回の調査の出土品などをご覧いただきました。出土品は江戸後期~近代の陶磁器でしたが、六文銭合資会社という明治21年~昭和7年操業の製糸会社のものとみられる食器もありました。雨の中約100人の方々にお越しいただき、ありがとうございました。

 

 

東三日月堀に並ぶ護岸の石列

 

▲東三日月堀で発見された、石列による護岸

 

 

発掘調査の様子

 

▲発掘調査の様子

 

 

現地説明会にて。発掘調査についての説明をしました。

 

▲現地説明会にて。発掘調査についての説明をしました。

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 95日から行っていた、(仮称)後町ホール建設予定地(長野市大字南長野、旧後町小学校)での県町遺跡の調査が119日に終了しました。弥生時代中期後半の住居跡2軒と溝が見つかりました。溝は幅約4.4m、長さ約25m、深さ約1.3mで、断面がV字形をしています。これらの遺構は昨年行った北側の調査区で見つかった住居跡3軒と同じ集落であり、溝は集落の境界をめぐる環濠と考えられます。

 

 

 

                           ラジコンヘリで空中撮影を行いました。竪穴住

                        居の南に、大きな溝が東西に走っています。

 

 

竪穴住居から出土した土器の図面を描いている様子

          出土した土器の図面を描いています。細かく

         測って絵を描くので根気がいります。

 

 

発掘中の竪穴住居。土器がたくさん出土

          竪穴住居の床には弥生時代の壺や甕などの

         土器がた くさん残っていました。

 

弥生時代の土器がつぶれた状態で出土

土器はその場所でつぶれたように出土しました。

 

弥生時代の大きな溝を横から撮影

大きな溝は断面がV字形をしています。

 

弥生時代の大きな溝を掘っている様子

大きな溝は深くて傾斜があり、掘るのが大変

         でした。作業員の皆さんお疲れ様でした。

 

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集合住宅の建設に先立ち、中越遺跡(長野市大字中越)で行われていた発掘調査が終了しました。(調査期間:2016年5月30日~6月27日)

 

 

おもな遺構は弥生時代中期(約2000年前)の土坑(地面を掘りくぼめた穴)1基、弥生時代後期(約1800年前)の竪穴住居2軒、奈良時代末(約1200年前)の溝1条で、このほかにも土坑や溝・小穴がたくさん見つかっています。

 


2軒の竪穴住居はいわゆる焼失住居で、火を受けて炭化した建築部材が床面からたくさん見つかりました。また、このうちの1軒では、緑色に輝くヒスイ製の小さな勾玉が出土しました。

 

 

湧き水があり大変な調査でしたが、長期間にわたりこの地に人々が生活していたことを明らかにすることができました。

 

調査区の全景 弥生時代中期の土坑(SK1)から出土した土器

調査区の全景

 

▲弥生時代中期の土坑(SK1)から出土した土器

 

弥生時代後期の焼失住居(SB1) SB1から出土した土器

弥生時代後期の焼失住居(SB1)

 

SB1から出土した土器

 

弥生時代後期の焼失住居(SB2) SB2出土のヒスイ製勾玉

弥生時代後期の焼失住居(SB2)

 

SB2出土のヒスイ製勾玉

 

発掘調査の様子 水が溜まった竪穴住居

発掘調査の様子

 

水が溜まった竪穴住居

 

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