学芸員のちょこっと一言 ながの文化財ブログ

 宅地造成工事に伴い5月11日から始まりました、中越遺跡(長野市中越2丁目)の発掘調査が大詰めを迎えています。

  

 

▼ 中越遺跡発掘調査のようす

 

 

 弥生時代後期から平安時代にかけての集落遺跡で、竪穴住居跡3軒(弥生後期1、古墳後期2)のほか、土坑2基、溝跡や畝状遺構、自然地形の落ち込み等を確認しました。

 

 特に自然地形の落ち込みに堆積した弥生時代後期の遺物包含層からは大量の箱清水式土器、いわゆる「赤い土器」が出土しました。

 また、古墳時代後期の竪穴住居跡からは、甕と甑(こしき)と高杯、そして石皿がまとまって出土しました。

 

 

▼ 甕と甑と高杯と石皿

 

 

 6月17日には、ラジコンヘリコプターを使用して上空から写真撮影を行いました。ラジコンヘリにはカメラの他にビデオカメラも搭載されており、上空からの映像をその場で確認しながら無線でシャッターを押しました。

 

 発掘現場は閑静な住宅地であり、近くには今春開業したばかりの北陸新幹線も通っていることから、ラジコンヘリの運行には細心の注意が必要になります。測量業者を通じてベテランの専門家に操縦をお願いし、安全に撮影を行うことができました。

 

 

▼ラジコンヘリの準備

 

▼ テイクオフ

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4月3日から発掘調査を行っていた桐原要害(高野氏館跡)の調査が6月2日に終わりました。中世の井戸や柱穴が見つかり、カワラケ(土器の小皿)や山茶碗・輸入された青磁碗などが出土しました。このほか古墳時代前半にお墓に供えられたと考えられる土器やガラス小玉なども出土しています。また古墳時代後半と平安時代の竪穴住居跡も見つかりました。近隣の発掘調査でも同時期の住居が多く見られるため、桐原一帯に集落が広がっていたと思われます。

 

発掘調査の様子

   

 

▲土器をクリーニング中
いい写真が撮れるといいですね!
▲青いガラス小玉が出土した土坑
   
▲平安時代の竪穴住居のカマド
土器がたくさんあって掘るのは大変です。
 ▲平安時代の竪穴住居跡

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 現在、桐原要害(高野氏館跡)での発掘調査を行っています。この遺跡は応永10年(1403)に幕府代官細川慈忠に攻め落された「桐原要害」の推定地とされています。発掘開始からまだ間もないですが、中世の館を囲むと想定される溝の一部が見つかりました。これは平成23年度に長野県埋蔵文化財センターの調査で発見された溝の続きと思われます。また下層では古代の竪穴住居跡や溝跡が見つかり、古墳時代(約1700~1400年前)の土器も出土しています。これから館の内部を発掘する予定です。
 
 
 

 ▼古墳時代の土器が発見されました。     ▼古代の溝には岸に杭列が見つかりました。
 
   

 
 
 
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交差点改良工事にともない8月4日から行われていた松代町東寺尾の松原遺跡の発掘調査が、10月10日に終わりました。

上信越自動車道長野ICのほど近くにある松原遺跡は、千曲川の右岸自然堤防上に広がる遺跡で、縄文時代から中世までの長きにわたる人々の生活の跡が残されています。特に、弥生時代中期後半(約2000年前)の集落は南北約700m、東西約400mという広さで、東日本では最大規模と考えられています。

今回の発掘調査面積は約300㎡で、見つかった遺構は平安時代後半の住居跡2軒・溝1条など、弥生時代中期後半の土坑3基・溝1
条などと少数でした。また、出土遺物の量もそれほど多くありませんでした。このことから調査地は集落の端部と考えられ、松原遺跡の範囲を考える上で貴重な成果を得ることができました。


調査前の様子 調査前のようすです。中央に旧屋代線の線路敷、奥には上信越自動車道が見えます。
発掘調査の様子 平安時代の住居跡を調査しているようすです。
土器が出土した様子 弥生時代中期後半の土坑(大きな穴)からは完形に近い小型の甕が出土しました。

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観光客でにぎわっている善光寺さんの参道脇で、門前町跡の発掘調査が4月17日から始まっています。

 

  ▲調査が始まった門前町跡

 

開発事業の店舗増築工事に先立って、予定地の約130㎡を調査しています。

まだ掘り始めたばかりですので、現在の地表面からは約30~40㎝という浅い場所ですが、これまでに礎石列や石室、石組み井戸などの遺構や、陶磁器や瓦の破片、銭貨などの遺物が出土しています。

 

  ▲礎石列などの遺構精査

 

4月30日には長野ケーブルテレビさんの取材もありました。

 

  ▲テレビ取材のようす

 

これからも調査が続きます。徐々に深くなり、時代も古くなっていくと思います。貴重な成果やおもしろい発見がありましたら、このブログでご紹介します。

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オリンピックスタジアムのある南長野運動公園で、総合球技場整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査が、先月16日から始まっています。
 
長野オリンピック開催前にスタジアム建設予定地で見つかった南宮遺跡ですが、これまでの発掘調査で、今からおよそ1100年前の平安時代に営まれた巨大なムラであったことがわかってきました。
 
 ▲ 最初に大型の重機で掘削します。
 
 ▲ 地元で募集した作業員さんによって丁寧に掘っていきます。
 
AC長野パルセイロのホームスタジアムとなる新しい球技場の予定地でも、平安時代の竪穴住居跡が見つかっていますので、古代斗女郷の中心的集落と考えられる南宮遺跡について、貴重な調査成果があがるものと期待しています。
 
 ▲ 平安時代の竪穴住居跡
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 長野市平林で、平成25年8月26日から開始した発掘調査が、10月25日に終了しました。小規模店舗建設工事に伴う平林東沖遺跡で、約1,000㎡を発掘調査しました。

 発掘調査では、古墳時代後期の住居跡5軒のほか、平安時代の土坑墓1基、井戸跡7基、土坑や小穴、溝などの多数の遺構が見つかっています。

 隣接地では、平成13~15年度に古牧中部土地区画整理事業に伴う平林東沖遺跡の発掘調査を実施していますが、今回の調査は関連する遺構や遺物が見つかっており、一帯が良好な集落地であったことをうかがい知ることができます。

 

▲平林東沖遺跡の全景

 

▲古墳時代後期の竪穴住居跡

 

▲古墳時代後期のカマド跡

 

▲専門員の説明に耳を傾ける発掘作業員

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5月30日から長野市栗田で行っていた発掘調査が6月24日に終了しました。
今回の調査地は栗田城館跡の主郭内と考えられ、居館跡に関連する遺構・遺物の発見が期待されていました。今回の調査では室町時代の竪穴建物4、掘立建物1、柵列1、土坑5、小穴107、溝1などの遺構や、カワラケ、青磁、天目茶碗、石臼、北宋銭などの遺物が見つかりました。
 
調査期間中は通りかかる多くの方々から声をかけていただき、地域の関心の高さをうかがうことができました。
  
今後は遺物の実測や報告書の作成などの整理作業を行っていきます。
 

【かわらけ】 【石臼】
【天目茶碗の破片】 【青磁】
【北宋銭】 【土坑と柵列】
【調査区全体】   【調査風景】

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長野市栗田で5月30日から栗田ふれあい会館建設工事に伴う発掘調査が始まりました。栗田地区には栗田氏の居館と伝えられる栗田城館があったと考えられています。今回の調査地は190㎡と狭い範囲ですが栗田城館跡の主郭内と考えられ、栗田城館跡に関連する遺構・遺物の発見が期待されます。

 

 

   【南からの発掘調査地】
   【いよいよ調査】
じょれんを使って遺構を検出していきます。
   【遺構検出】
白い線で囲んだ部分が遺構です。

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5月31日、長野女子高校の新校舎建設に先立って現校舎北側のグランドで行われていた発掘作業が終了しました。

調査地は、浅川扇状地の扇央部、長野市三輪地区に位置し、下宇木遺跡、美和公園遺跡、美和遺跡、相ノ木氏居館跡(相木城)、旭幼稚園遺跡、本村東沖遺跡などに囲まれています。
 
2月末から3ヶ月間、悪天候や湧水に悩まされながら約2500㎡を発掘し、竪穴住居48軒、溝9条、大型土坑6基、井戸3基、その他多数の小土坑を検出しました。
遺構の年代は、大きく弥生時代後期(1900年ほど前)と古墳時代中後期(1500年ほど前)に分けることができます。二つの時期に集中して集落が営まれたことがわかります。
弥生時代の住居からは、北陸地方で作られた特別な土器や、貴重品であるガラス製ビーズ(数十個!)がみつかりました。古墳時代の住居でも、ほぼ完全な形をとどめた土器を伴うカマドがみつかるなどの成果が上がりました。
 

さて、発掘作業の終了で調査は一段落ですが、これから整理作業が始まります。発掘成果を詳しく分析することで、この遺跡の特色が明らかになるでしょう。

 

  

 

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