2022/2/22 10:08松代城下町跡から「恩田木工」銘の木簡が出土しました
令和3年4月の松代城下町跡の発掘調査で、江戸時代中期の松代藩家老恩田木工民親(おんだ もく たみちか)の名前が記された木簡が初めて発見されました。
恩田木工民親(1717-1762)は、宝暦7年(1757)藩主真田幸弘から財政危機に陥っていた藩財政の再建を命じられました。民親の方針は、「嘘をつかず誠実であること」であり、自ら先頭に立って質素倹約を励行し、贈収賄の取り締まりを行ったほか、殖産興業にも力を入れ、俸禄制度の改善、文武奨励なども推進しました。民親の業績が描かれた『日暮硯』は、全国的に流布し改革のマニュアル的な存在となり、かの上杉鷹山や二宮尊徳のお手本となったともいわれています。
発見された木簡は長さ8.5㎝、幅6.9㎝、厚さ3㎜の大きさで、上部は刃物を入れて半分に折り取られていると考えられます。表面には右から「(祢)津数馬様」、「恩田木工」、「(鎌)原兵庫様」と3人の名前が列記され、裏面には中央に「(祢)津数馬」、その脇に細い文字で右側に「暮時出」、左側に「昼時着 二箱之内」という発送・到着・内容に関する記述がみられます。書かれている人物の生没年などから木簡は延享3年(1746)から宝暦6年(1756)までに書かれたものと考えられます。
表面は書状を入れる状箱の蓋か、あるいは蓋に添付された木札と考えられます。「恩田木工」他よりも1字下げて記載され、かつ敬称もないことから木簡の発給者と考えられ、書状を回覧するような使われ方が推測されます。
木簡は、3月16日から真田宝物館で開催される「第22回長野市埋蔵文化財センター速報展」で公開されます。
出土した木簡(表面)
木簡中央に恩田木工と書かれています。
出土した木簡(裏面)
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