学芸員のちょこっと一言 ながの文化財ブログ

 令和4年8月2日(火)、長野市教育委員会家庭・地域学びの課および長沼地区住民自治協議会主催(長野県埋蔵文化財センター協力)の

発掘から見える長沼城の歴史 第二回講座~夏休み特別企画~

「今しかできない 長沼城の発掘を体験しよう」

イベントに支援スタッフとして参加してきました。

 

 長沼支所仮庁舎 長沼交流スペースに小学生8名と親御さん5名が集まり、受付をすませたところで発掘現場プレハブに!!

 まずはみんなでラジオ体操。作業を始める前に体を動かします。

 体操後に現場を担当する県埋文職員からあいさつがあり、そのあと参加者に発掘道具が渡されました。

 いよいよ発掘現場に移動して発掘体験スタート。

 発掘作業員さんに交じり、両刃鎌と手みを使って土を削りながら遺物や遺構を探していきます。焼けた土や炭などと一緒に土器が出土した場所があったり、釘が出て来たりして、暑い中、体験は40分程度でしたが、みんながんばって発掘をおこないました。

体験後は支所に戻り、質問や感想を聞いたり、今までの発掘で出土したものを観察したりして終了しました。

 参加された方にとっては夏休みの貴重な体験であり、発掘調査の大変さや大切さを感じ取れたのではないかと思います。

 

長沼支所から現場プレハブにみんなで並んで歩いていく様子

▲みんなで長沼支所から現場プレハブに移動

 

プレハブ前に広がってみんなでラジオ体操をする様子

▲みんなでラジオ体操

 

県埋文職員が参加者に発掘道具の両刃鎌と手みを渡す様子

▲参加者に発掘道具を渡します

 

発掘現場で一列に並んで発掘をしている様子

▲発掘作業開始。みんなで並んで土を削っていきます

 

作業員さんと小学生で並んで発掘する様子

▲作業員さんの説明を聞きながら発掘するようす

 

支所で参加者が県埋文職員による説明を聞くようす

▲支所に戻り、質問や感想を聞くようす

 

県埋文職員の出土遺物の説明を参加者が聞く様子

▲今までに出土した遺物の説明を聞くようす

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6月20日(月曜)、国立歴史民俗博物館の藤尾慎一郎教授による塩崎遺跡群出土人骨の調査が行われました。


塩崎遺跡群の1985年の発掘調査では、長野盆地で稲作が始まって間もない弥生時代中期前葉(約2,300年前)の複数の木棺墓から、20体以上の人骨が見つかっています。1997年に発表された茂原信生 京都大学教授(当時)らの調査では、渡来系弥生時代人の形質的特徴を持つことが指摘され、副葬されたたくさんの土器とともに、弥生文化の当地への波及を考えるうえで重要な考古資料となっています。


今回の調査では、人骨からサンプルを採取し、DNAの解析や炭素14年代の測定を行う予定とのことです。本格的な調査はこれからですが、どんな結果がでるのか今から楽しみです。


またこの日は、設楽博已 東京大学名誉教授が一緒においでになり、東町遺跡出土絵画土器などの資料調査も行われました。設楽先生にはかねてより絵画土器について指導を受けていましたが、実見する機会は今回が初めてであり、改めて有益なご助言を頂くことができました。

 

▼藤尾先生の調査のようす

机の上に並べた人骨を藤尾先生が写真撮影しています


▼1985年の発掘調査で見つかった木棺墓(左から4号・21号・5号)

地面に掘られた細長い墓穴が三つ並び、その中に人骨や土器があります


▼設楽先生の調査のようす

机の上に置かれた絵画土器を観察しながら設楽先生がメモをとっています
 

 

 

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 令和4年6月17日(金)、長野市立寺尾小学校4年生からのご依頼により、親子レクリエーション「火おこし体験学習」の講師派遣を行いました。

 

 寺尾小の銀杏広場に集まった児童16人と親御さんたちに、火をおこすコツなどの説明を聞いてもらった後、それぞれに分かれてマイギリ式の火おこし体験をしていただきました。

 

 最初はなかなか火がつきませんでしたが、歓声とともに火がつき始め、多くの児童さんが火をつけることができました。残念ながら火がつかなかった児童もあともう少しのところまでできるようになっていました。

 最後におこした火をかまどに移し、焼きマシュマロを作ってみんなで食べました。

自分たちがつけた火を使ったおやつを食べる児童の笑顔はとてもよかったです。

 

火おこしの説明をする職員とそれを聞く児童たち

▲火おこしのコツを説明するようす

 

▲ベテラン職員による指導

 

親子で火おこしをするようす

▲親子で火おこしをするようす

 

火おこしをする児童

▲うまく回せるようになった児童

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 3月16日から真田宝物館エントランスロビーで開催していた

第22回長野市埋蔵文化財センター速報展「発掘 松代城下町」が5月9日に終了しました。

 

6000人を超えるお客様にご観覧いただき、盛況のうちに終了することができました。

 

なお、今回および前回の速報展リーフレットをPDFで公開いたします。

 

第22回速報展リーフレットのダウンロードはこちら(1.6MB)

 

第21回速報展リーフレットのダウンロードはこちら(1.9MB)

 

第21回速報展リーフレット追加版のダウンロードはこちら(1.1MB)

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現在、真田宝物館エントランスロビーで開催中の

第22回埋蔵文化財センター速報展「発掘 松代城下町」で

4月13日に展示解説を行いました。

 

真田宝物館のギャラリートークに合わせて2回行った展示解説には

40人近い方々に参加していただきました。

 

普段見ることができない資料を前に、

参加者から積極的に質問が出るなど、

知識を深めていただける機会になりました。

 

速報展は5月9日まで開催しています。

この機会に是非ご来場ください。

 

▼展示解説の様子

4月13日速報展展示解説の様子

 

4月13日速報展展示解説の様子

 

 

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冬期休館していた大室古墳館が4月1日から開館いたします。

 

開館時間: 午前9時から午後5時

 

休館日: 月曜日(祝日に当たる日はその翌日)

      祝日の翌日(土・日を除く)

      12月1日から翌年3月31日(冬期休館)

 

入館料: 無料

 

令和4年度開館カレンダー

 

開館カレンダー

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3月26日(土)に第22回長野市埋蔵文化財センター速報展

「発掘 松代城下町」講演会を行いました。

 

会場の換気や検温、手指の消毒など新型コロナウイルス感染症対策に

ご協力いただきながら、多くの方にご参加いただいて開催することができました。

 

速報展は、5月9日(月)まで真田宝物館エントランスロビーで開催しています。

松代城下町跡から出土した遺物を、この機会に是非ご覧ください。

 

 

講演会の様子

講演会の様子1

 

 

 

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第22回長野市埋蔵文化財センター発掘調査速報展

「発掘 松代城下町」

が真田宝物館で開催中です。

 

今年度の松代城下町跡の発掘調査で出土して注目されている

「恩田木工」銘の木簡が初めて一般公開されています。

 

そのほかにも松代城下町跡の発掘で出土した遺物が並び、

江戸時代の暮らしの一端がわかる展示となっています。

 

また今年度市内で発掘調査されて遺跡についても速報展示を行っています。

 

是非ご来場いただき、普段見ることのできない資料を間近でご覧ください。

 

会 場 : 真田宝物館エントランスロビー

会 期 : 令和4年3月16日(水)~5月9日(月)

開館時間: 3月31日まで 午前9時~午後4時30分

         4月1日から  午前9時~午後5時

        (入館はそれぞれ閉館時間の30分前まで)

休館日: 火曜日

観覧無料 (但し、真田宝物館のご観覧には入館料が必要となります)

 

 

展示会場入り口

展示会場入り口の画像

 

 

展示会場の様子

展示会場風景の画像

 

 

「恩田木工」銘木簡の展示

木簡展示の画像

 

 

 

 

 

 

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令和4年3月8日に長野市の遺跡地図が更新されました。

 

E-044 篠ノ井佃遺跡(篠ノ井布施高田)

F-042 代官町窯跡(松代町代官町)

L-015 財又遺跡(鬼無里字才又東)

 

以上の3遺跡が新しく登録されました。

 

長野市内の遺跡は、長野市ホームページから

長野市行政地図情報 ⇒ 規制 ⇒ 遺跡地図(埋蔵文化財)で確認することができます。

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 令和3年4月の松代城下町跡の発掘調査で、江戸時代中期の松代藩家老恩田木工民親(おんだ もく たみちか)の名前が記された木簡が初めて発見されました。

 恩田木工民親(1717-1762)は、宝暦7年(1757)藩主真田幸弘から財政危機に陥っていた藩財政の再建を命じられました。民親の方針は、「嘘をつかず誠実であること」であり、自ら先頭に立って質素倹約を励行し、贈収賄の取り締まりを行ったほか、殖産興業にも力を入れ、俸禄制度の改善、文武奨励なども推進しました。民親の業績が描かれた『日暮硯』は、全国的に流布し改革のマニュアル的な存在となり、かの上杉鷹山や二宮尊徳のお手本となったともいわれています。

 発見された木簡は長さ8.5㎝、幅6.9㎝、厚さ3㎜の大きさで、上部は刃物を入れて半分に折り取られていると考えられます。表面には右から「(祢)津数馬様」、「恩田木工」、「(鎌)原兵庫様」と3人の名前が列記され、裏面には中央に「(祢)津数馬」、その脇に細い文字で右側に「暮時出」、左側に「昼時着 二箱之内」という発送・到着・内容に関する記述がみられます。書かれている人物の生没年などから木簡は延享3年(1746)から宝暦6年(1756)までに書かれたものと考えられます。

 表面は書状を入れる状箱の蓋か、あるいは蓋に添付された木札と考えられます。「恩田木工」他よりも1字下げて記載され、かつ敬称もないことから木簡の発給者と考えられ、書状を回覧するような使われ方が推測されます。

 木簡は、3月16日から真田宝物館で開催される「第22回長野市埋蔵文化財センター速報展」で公開されます。

 


恩田木工木簡表面の画像

出土した木簡(表面)

木簡中央に恩田木工と書かれています。

 

木簡裏面の画像

出土した木簡(裏面)

 

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